電撃大王

●最終回を迎えた「宵闇眩燈草子」、Shapechangerヒロイン(?)に対する主人公(?)の台詞がいい。
 黄金色の鎧装Rhinocerosに変身した彼女は「(私を)見ないで」「きらいにならないで」と訴える。それに応えて
 「もっと いんぱくとのある特技じゃないと、うちでは目立てんぞ」
 いやまるでDnDのようではないか。
 もっとImpactのあるFeatを! もっとPowerfulなFeatを!
 I want you, I need you, I love you.ってなもんだ。
ところで人間世界で生きることを選択した人でない生き物…というのはどうしてこう私の胸をうつのか、やはりツボなのか。そもそも異形・異人との愛は古来よりの文学的な大命題でもあるわけではないか、と思うが如何に。
悪魔との恋
天使との恋
女神との恋
獣人との恋
Undeadとの恋
ロボ娘との恋
宇宙人との恋
未来人や過去人との恋
古くは神話や叙事詩、古典文学、マンガ、SF、Fantasy、ライトノベル、伝奇小説など、様々なレベルで様々な創作物の系譜が辿れるはずだ。
ともかくおいらの趣向に合致していることは確か。
だからといって鬼ババアがPolymorphして人間世界で好機を狙っているのと、Eladrin Ghaeleが愛する家族のために小田急線で毎朝通勤ラッシュにもめげずに出勤するのとは、雲泥の差があるといえよう。
●「超常機動サイレン」は俺好みな展開。
 悪の組織幹部にして怪人製作担当者(ドクター)である俊一郎。
 正義の味方である、めるなと交際中。無論、互いの真の姿は隠匿したまま。
 ここまではまあ、予測の範疇内であった。
 ラブコメの王道である男女間の誤解をコミカルなネタとして使い回すには、相手に言うことの憚られる秘密を持たせるのが一番だからだ。などと分かったような発言をする余裕はあった。
 ところが、ここで美少女怪人エータの登場である。
 彼女は今までの怪人とは違い、社会一般の知識を実際の体験から吸収していくタイプのサイボーグとしてデザインされていた(ババーン!)。俊一郎は彼女の教育をも担当しなくてはならない。
結局、3人で遊園地に行くという状況で、この作品は実に重層的なキャラクタたちのハーモニーを奏でることに成功している。
一番表面に現れている設定は、男女カップルと面倒を見るべき子供という立ち位置。
しかし、俊一郎は悪の組織重鎮だし、めるなは正義の味方なのだ。
またエータ(栄華)は美少女サイボーグとして完成したばかりで、悪の組織に所属はするものの、判断基準を模索・構築している最中という点が重要。
かくして互いの素性を隠すが実は行動が何より素性を語っている男女のカップルと、そこで偶然とはいえ擬似家族による体験から己の価値観を健気にも築こうとする美少女サイボーグの素朴なやり取りが面白いのである。
「どうやらドクターはこの人が喜んでいると嬉しいらしい」
「つまり私は2人を喜ばせる行動をとれば良いようだ」
で色々やってみて、自分では失敗したと思ってドクターの様子を伺うと
「ドクターが喜んでいるように見える」
「…今のは失敗ではないのか?」
などと、失敗が必ずしもよくない結果をもたらすものではないことを匂わせていたり(無論、人間は“分かっていても”煩悩には勝てない…ときもあるのさね)。
なかなかに楽しめる。今後の展開に注目といった感じなのだった。