車内広告

今朝、某私鉄で会社に向かう途上、遠足と思しき小学校低学年の一団と一緒になった。
彼らは皆幼く、男女ともに無邪気にお喋りに興じていた。男子はナルト(集英社)のことなどが話題に上っていたようである。
自分にも彼らのような時代があったのだと、いくらかの感慨とともにボンヤリ眺めていたが、ふと対面の車内広告が目に入ってきた。
そこには“スローセックス実践入門”の文字が。
この瞬間、思わずその広告を指差して御高説を垂れやがる早熟なガキが出没しないか、または純粋な好奇心と世界の不思議を知るための衝動に突き動かされてCriticalな質問が辺りに轟き渡らないか、体内警報が鳴り響いたのであります。
しかし、我が身を思い返しても、小学校低学年ではまだそういう方面に具体的かつ積極的にアプローチを行うものではないとの知見もある。せいぜい高学年からではないのか。
私の世代であれば「ウィークエンダー」や「11PM」の存在も大きかったし、イキのいい永井豪作品が掲載されている雑誌を読めたというアドバンテージもあるだろう。
こうした思い、煩悶が我が脳内で激しく繰り広げられる始末。
まさか通勤列車の車内で、一人阿呆な緊張状態を保ちつつも状況の推移を冷静に見守っている自分を見出すことになろうとは。御釈迦様でも予測不可能というやつだ。
結局のところ、子供たちの視線は広告の位置まで上がることはほとんどなく、つまり私の思いは杞憂として過ぎ去った。
しかし、注意せよ(戦車に。*1
いつの日か、男子は目覚め、そして世界を知るのである。そのとき不用意に車内広告を配置したオトナに猛省を促すような突飛な事態が起こるかもしれない。
「もしかしたら、不用意な車内広告よりもっと恐ろしいのは……わたしたち人類の中にひそんでいる心の中の敵かもしれないわ……」(完)

*1:Heinz Wilhelm Guderian「Achtung Panzer!」