Ghaele Eladrinはイチゴパンツを履くか?

確かに、神々の時代に生まれた登場人物はそれなりに神を敬い、その御使いたる天使には畏れを抱き、与えられた使命を全うすべく動くのであろう。
だが私の心のファンタジーは既にして「ハロルド・シェイ」なのだ。
基調にはラブレーを引用して自分をケルト人なんだと言い切ったルイ・ペイゴーの精神が宿っている。
ということはハイ・ファインタジーを受け入れつつも、心はその外へと彷徨い出る。混沌の海へと漂い出た私の精神はひとつの疑問を抱く。
すなわち、「Ghaeleってパンツ履くのかしら?」
笑ってはいけない。
好きな娘のパンツ、これは確かに重要な問題だ。Knowledge Checkでも教えてくれない由々しき問題だ。
Outsiderの特性を鑑みるに、彼女たちにいわゆる女の子の日がないということは何となく分かる。
睡眠を必要としない、食事できるがしなくてもいい、こういった特性からして身体的に不調は想定されまい。
しかしながらHalf-Celestialがたぶんに愛の行為の結果として生じ得ることを考えるに、人に近い在りようもとれると考えるのが自然だ。
とくにGhaeleはMaterial Planeにおいて社会に関与すべく使わされるわけで、生活者としての機微に通じなくてはならない道理だ。少なくともそういった志向なくしては社会に溶けこむのは不自然極まりないものとなろう。
女性たる自分を蔑ろにしていては、Material Planeでの活動に支障を来すのである。それは神々の意志に背こうというもの。
そこで基本の衣類たるパンツである。
いやパンツを履かない文化がメジャーという話もあるにはあるだろう。「ドロワーズ 船戸明里」で検索するとたどれる「お尻まるだしのドロワーズ」の写真(および掲示板のレス)を見るまでもなく、歴史の凡例を上げて現実的であるかないか判断することもあろう。
だが、それは重要ではない。
重要なのはGhaeleたる女性を模した天使の心持ちである。
その時点で彼女たちもメタな視点を持たざるを得ない。自分は女性ではなく天使なのだ。しかし女性らしくあろうとする。
すべては神という絶対的な存在のため…だが、Material Planeで彼女たちが繰り広げる人生模様は、魂に人と同じ変化をもたらす。
ここに完全な天使でありながら不完全な人を模すという倒錯したがゆえに魅力的なGhaeleが幻視可能となるのである。
つまり、パンツは確かに履いている。その柄がイチゴかどうかはシュレディンガーのパンツを引いて応えよう。すなわち、イチゴかどうかはめくってみるまで分からない。深遠なる天使の気分次第に違いない。
願わくば女神の逆鱗に触れぬことを(無理。
[真梅雨の夜の妄想(まつゆのよのゆめ)、終了]