あまりに切なくなったので、嫌な話(読み飛ばし可)

先日の八王子通り魔事件のTV報道をチラ見すると、アナウンサーがしたり顔で「(犯人の発言が)とても30代の人間の発言とは思えない」などと義憤に駆られた表情で語っていた。
思わず30代だろうが40代だろうが関係あるかよと本当にむかっ腹が立つのであった。
なんでむかっ腹が立つのか?
たぶんそんな発言にとりたてて意味がないからだ。あまりに表層的な発言だからだ。そして不謹慎を覚悟しての洒落さえない点が、個人的には憎悪をかきたてる。
たとえば佐藤亜紀さんのように、実行犯の心持ちを斟酌するのはやめて、(社会は)行動の結果に責任を取らせる以上の干渉はしないという主張は分かりやすい上に潔い。
一方で「世に倦む日日」のサイトで展開されているような読み解き方にも共感できる。時折脱線しすぎでは?と思わせる部分があるものの、総じて俯瞰的に状況を見ており、心に留め置くほどには説得力ある言説になっている。
http://critic5.exblog.jp/9143746/
また参照先のように話題は違えど「問題なのは財政逼迫ではなく、財政の実像の隠蔽であり操作なのだ。」という実感にもってくるまでの積み上げは非常に丁寧で分かりやすい。
個人的にはTVも新聞も報道では事実(または起きたことの骨子)のみ把握できれば十分で、後は雑音というかむしろ有害な発言なり文言が組み込まれている印象だ。
所詮自分は加害者被害者とは違うのでありその家族ですらない。あるのはいつ加害者被害者、その家族になるか分からないという状況だけであり、それほどできることはない。
他人都合の思惑とAccident表でファンブルしたかのような災厄が降りかかる中、あっちにへろへろこっちにへろへろ歩いているのが己の姿かもしれず。
救いは笑いとd20なのかもしれず。
同情するなら金をくれ。死者が私に生命を与え、生者が間断なく私に死をもたらす。*1
閉塞感と崩壊への予感を抱えたまま老いていくのはどうしたものか。

*1:下村寅太郎スウェーデン女王クリスティナ」より。1650年6月にクリスティナがフォシウスに宛てた書簡に記載されているらしい。当時の社会における王者としての生活がある一方で、書斎での死者との交際の方を好むその在りようが、私には非常に好ましく(不遜かもしれないが)愛おしく思える。