墓参り

体調イマイチで結局10時間以上寝て起きるも、まだ低調。でも今日は墓参りの日なので、風呂につかって目を覚ます。
ふらふらしながら家を出てお寺へ。お寺では時期が時期なので大勢の人が繰り出している。お線香を買いに行ったら、境内の石段で転んで鼻を切ったため救急車を呼んでくれなどと駆け込んでくる人までいる。
慌ただしい雰囲気の中、お袋が眠るお墓にお参りする。いやあれから14年が過ぎたのか。


その後親父の誕生日祝いも兼ねて(墓参りのついでというのはどうか?)家族で食事に行く。家族サービスの意味もこめて食事代はおいらが持つ。
話の流れで富士見台(西武池袋線)北口が随分と開けたという話になった。
そういやお袋が最初の癌の手術した後、会社帰りによく富士見台北口にあった果物屋で桃を買って帰ったことを思い出した。あれはいつ頃のことだったろうか。
たぶん1990年代前半だったに違いないが。
あと1996年に親父と欧州旅行に行ったとき、家は妹しかいなかったのだが、そのときに台風が来て雨漏りが大変だったとかの話もする。
前の家はおいらと同い年だったので、当時築30年ほどになる木造建築で、ガタが来ていたのだ。小さい頃には戸袋に鳥が巣をつくったりもしたものだが。
それにしても中学に上がる前、ということは環状8号線とかの工事がこちらまでやってくる以前ということだが、南が丘中学があるあたりには豚小屋があったのだ。夜は随分と静かだったように記憶している。
昭和35-40年の邦画とか見ると小平のあたりなんて本当に田舎の田園風景だったわけだけど、1980年になる前の練馬区も随分と田舎風味であったに違いない。
まあ、トラブルはあったもののおおまか楽しく過ごせたのは良かったか。感傷とかノスタルジィとか他人は後ろ向きだと指摘するかもしれないが。ほっとけ。
こうして己が経てきた道筋に想いを馳せるのは、別に過去が素晴らしいからではなく、単に年取った人間の楽しみであり随分と個人的な部類に属するさ。
そのうち身体にガタが来て、互いの健康を話題にする老人の仲間入りさね。「馬鹿な大人になるのかな」といった物語の主人公が語られないだけで大人になるがごとく。そんなこんな。