ETV特集「犬の記憶〜森山大道・写真への旅〜」

ふとテレビをつけたらやっていた。
変貌する都市を故郷とした者という括りで自分も色々と触発された。
東京に生まれてもはや生まれたときの家や周囲は道路(環状八号線拡張工事)になってしまい、その頃の記憶の風景はどこにもないのだと思えば写真の中で自分の故郷の風景を確認するしかないのだろう。いやそんな断片的な場面から当時を思いやるくらいしかできないのだ。
小学生の頃には近所の人たちがドブさらいをしていたりした。路地の一番奥といったあたりに家があり、そこに至る道は結構後まで舗装されてなかったのだ。路地の一番奥といってもさらに細い裏道が続いており、こちらを抜けることもできた。家の裏手は幼稚園で、遅刻しそうなときはブロック塀を乗り越えて登園したものだ。後に中学生にもなって、幼稚園のプールで涼んでいる幼稚園の先生(若い女性数人)から誘われて、一緒にプールで泳いだ記憶もある。なんかオイシイシチュエーションだった気がするけど、それっきりだったな。中学に上がったばかりの頃は、夜勉強していると森閑とした中で否応なく孤独感を感じてみたり。小学校への集団登校時にいつもみかけた浮浪者のオジサンにはどのような人生があったのか。週末には塾に行くのに池袋に出てたりしたが、傷痍軍人アコーディオンだかハーモニカだかを演奏していた気がする。新宿の電子専門学校裏の立ち食い蕎麦で、お昼を掛け蕎麦に山盛りネギを盛って食べていたり。当然、お昼代の差額から漫画本を買うためにそうしていたわけだが、サービスのお好みネギを容赦なくガメたため、立ち食い蕎麦屋はじきになくなっていた。潰れたのであろう。また母方の祖母の家が新宿にあったのだが、今やその痕跡はことごとく消え去り、僅かに墓標のみが「いた」ということを証し立てているに過ぎない。今や亡き母親から、まだ結婚して間もなく若かった頃、週末には訪れて夕食を食べさせてもらったりという話を聞いた気がする。その頃親父たちは中野の借家に住んでいたのではなかったか。親父は結局、そのときから今まで車はトヨタを貫いている。
振り返ればそれなりに様々な光景と人々が思い出されるが、大半は有象無象の記憶の彼方に忘却されている事柄となり果てている。いずれは自分も朽ち果ててて、誰もそういった人生があったとさえ気づかぬ路傍の石のごときものとなろう。
そういや先日何かの拍子に、葬式の“おとむらいかせぎ”の件から山本有三路傍の石」を思い出したのだった。あれを読んだのはいつのことだったか。

凝視録―為五郎覗き・除き人生

凝視録―為五郎覗き・除き人生

番組内で紹介されたこの本が面白そうだった。