シュレディンガーの「歴史」

http://mas-yamazaki.blog.so-net.ne.jp/2009-06-20
馴染んだ「歴史」が事実かどうかは分からない。
たとえば小和田哲男「戦国の合戦」(2008)なぞを読むと、最新の研究により実際の合戦がどのような状況であったのか定説に疑義が呈されている。
確度の高い史料の裏打ち、当時の常識に対する類推、物理的な制約を考慮して、事実がどうであったかを想定するという細かい作業が透けて見える。
こうした地道なアプローチをみる限り、普通の「歴史」の授業なぞは講談か思想誘導のセミナーといったものでしかないのかもしれぬ。
そういや佐藤亜紀さんの講義だったと思うが、英訳された書籍を読むという行為も、そもそも文献の英訳対象を絞りその翻訳をするというフィルタを通すがゆえに偏向を免れないという話をしていたのだった。
あらゆるメディアは情報の取捨選択と伝達の仕方で、視聴者読者への影響を意図してはいるのだ。
そうした中で職業意識に裏打ちされずに誠実な視聴者読者であるのは、相当にシンドイ話にはなると思うのだ。
それはそれとして集った人間のあいだで何となく合意がとれれば、それこそ「歴史」に他ならないという見方もある。なんにせよ落としどころにはちょっと息を抜けるものがないといかんよな。
[追記]
そこで「シュレディンガーのアンダーウェアですよ!」と俺の中の桃色妖精さんが囁いています。