明治大学公開講座(佐藤亜紀 特別招聘教授)2010年度第一回

●自転車で行こう
曇天にも関わらずBrompton明治大学まで自走する計画を実行する。
雨に移行する確率が高いのだが、降ってきたら輪行すりゃいいやくらいの心持で臨む。
目白通りを東に向かって走り、練馬、新江古田落合南長崎都営12号線の流れで進む。
そこから山手通りを交差して高田馬場西早稲田、早稲田に至る。
神楽坂のクランク登りとか、急傾斜の下りとか、「なんでこんなに高低差があるんだ。ひゃっはー」とか「ロードレーサーのおねーさんの後ろについて…ってチギられるー(当たり前」とか色々ある。
飯田橋で本屋に寄り、月刊コミックアワーズ7月号を購入。ちょっと休む。
その後九段下から神保町に回る。
早くつきすぎたのでその辺をウロウロする。なにやら古書店街の通りでバザーのようなことをやっていた。
エビピラフで昼飯をすませ、先日死せる詩人さんにすすめられた喫茶店CAFE TROIS BAGUESで珈琲を飲む。
13時を過ぎたので大学に移動し、Bromptonを折り畳んで輪行状態に。
そのまま手荷物として教室に歩いて向かう。
とくに警備員に「なんだその荷物は。君、学生証を拝見」などという魅惑の展開?になることもなく、無事教室にたどり着く。


●講義
久々の講義である。去年はとくにゲームセッションと重なったため参加してなかったからな。
2007年からはじまって4年目に入ったと最初に高遠先生が言っていた。佐藤亜紀さんは昨日届いたiPadの話から今日の講義について
「今までの総括」
ということで話し始める。いや今までの復習ということで非常に面白かった。というかおいら忘却の彼方だったり(赤点です。


・新しい「表現」はどうやって生まれるのか?
表現に関する基本的な話は「小説のストラテジー」を参照のこと。
講義では映画に注目し、今までにない“暴力表現”について見てきた。
それはスピルバーグ宇宙戦争」や「ユナイテッド93」や「トゥモローワールド」にあるように、唐突に暴力に巻き込まれ、何の脈絡もなく暴力沙汰が起こるように描かれるようになったと指摘。
安全圏から描かれるものから、身近で突然起こるものという表現特性を備えるようになった。


次に「歴史」の話になる。
歴史と言葉にしたときに、それが一体何をさしているのかは考えさせられる問題だ。
「歴史は各人の言葉で語られるので、語られる言葉だけの事実がある」という言い方は、それはそれで正しいのかもしれないが、ツッコミ所満載の発言だと認識せねばならない。
▼歴史の考え方
1)あるところにある歴史(?)
2)歴史学の歴史:出来事に関する記述は多様性に満ちている。ある妥当性でもって事実を浮かび上がらせる方法をとる。事実に近いかどうか。
3)言葉による歴史:省略
村上春樹アンダーグラウンド」は1995年の地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集。
なんでも村上春樹ワールドにしてしまうその一群の作品の中にあっても、たとえばサリン被害者の役人の中でインタビューに答えたのが防衛庁の役人だけという点は事実としておさえておくべきであろう。またこのときまで一億総中流などと言われていたにも関わらず、描かれている路線による個々人の生活感覚の違いは、年表などで概括される時代感とは乖離している点も注目される。
※昔からおいらは西武線(池袋・新宿)を使っていたが、基本東京西側で東西に走ってる路線は南にいくほど車内の人々に余裕が感じられていた。ぶっちゃけ東武東上線はガラが悪い。小田急線とか田園都市線に乗車する人々と明らかに層が違うのであった。
こうしたサリン事件で、とある女性で渋谷の広尾に勤めている方は、事件現場からさらに職場に向かって移動途中に倒れて搬送されたという。体調不良を自覚しつつ。
不謹慎を承知でいうなら、殺虫剤をまかれたゴキブリが何日か後に全然別の場所で死んで発見される様に似ている。


歴史学をやる人間は哲学をやる人間を軽蔑している。哲学もろもろは歴史の視点でみれば皆相対化されるがゆえに。もちろん哲学の方からも歴史を軽蔑し返す。これに文学をやる人間が加わるとさらに厄介な話になる。テキストリーディングの訓練もしてないのに学問だとはちゃんちゃらおかしいというのだ。
不毛である。
まず歴史資料を考えてみる。歴史資料が信用できるのかという話はついてまわる。しかも同じ方法論でもって切り込んでも相反する解釈を含んでいる可能性は十分にある。
マルグリット・ユルスナール「黒の過程」で取り上げられている(らしい:積読になってる)ヴェストファーレンのミユンスター市を巡る都市攻防に言及する。
それは再洗礼派の急増に既存の社会秩序の担い手が過激に反応した話であり、これをとある妥当性でもって研究した人間が「貧しい人間が再洗礼派となって社会変革をしようとした階級闘争である」と分析した。ところが、欧州というところは恐ろしいところで、書類や契約書の類はどんなに年月が経ったからといって廃棄せずにとっておくものらしい。小さな村や町にも資料館があって、そこで調べると納税記録などは相当昔までたどれるというわけだ。これを利用して先の再洗礼派の台頭がいかなるものか、再洗礼派として名前の上がっている人間の納税記録をチェックしたという。本当に貧しい人々で構成されているなら、納税記録に名前など登場しない…というのはまあ妥当なところであろう。しかしその結果、再洗礼派が本当に貧しい人々で構成されているという事実を導き出すに足るものは出てこなかったのだとか。
さらに「モンタイユー」エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房(おいらは途中まで読んで中断)を引き合いに出し、これは14世紀異端審問記録でかなり事実として妥当性ある内容だとは思うが、当時の村の人々の宗教が八百万の神々とまではいかないまでも「聖ジョージにお灯明を。龍にもお灯明を」といった類のものだとしている。つまりお布施をマリア様にもおさめる。なぜなら五穀豊穣を約束してくれるから。カタリ派の聖人にもおさめる。五穀豊穣を邪魔されないように。そんな感覚だ。
なぜか審問記録のみで判決集がないという話。佐藤亜紀さんによれば棚の後ろに落ちていてみつからないからだろうとのこと。
あ、審問記録は今はヴァチカンにあって、文書記録がときどき「みつかった」として発表されるのはそんな理由から。またはオークションにいきなり登場するとか。よくあるらしい。
それはそれとして、よく当時の農民を記した古い文書について、識字階級が文字も読めない書けない人々のことを正しい事実として描けるのか記せるのかと指摘する人がいるがそれもまた定型化された(頭の悪い)物言いでしかない。
たとえばウィーンの貴族を例にとるなら、彼らの言葉は「辻馬車の御者の言葉に似ている」と言われている。
貴族の子供につく乳母は身分の低い階級出身のことが多い。
横道であるが、フランツ1世(オーストリア皇帝フランツ1世)はイタリア生まれ。伯父のヨーゼフ2世神聖ローマ皇帝後継者として呼び寄せたときに「ドイツ語が喋れないバカ」として扱ったために結構苦労していたようだ。


なにが言いたいのかというと「文化と文化が明確に分離して白黒はっきりしていることはない」ということ。
先の納税記録の話でも、納税の金額は分かるがその背景や当人のメンタルな面ははかれない。常に捉えきれない部分があること。
そして一人の人間にまで落とし込んだ場合、文化が複雑にからみあっていること。
よって、関係者の証言が一致しているということは、口裏をあわせるなどの何か裏があるのが当然ということに。


歴史に関する言説は、みかんの入った網目の袋のようなものだ。
みかんが歴史的事実だとするなら、言説は網目? ここらへんたとえが難しい。
出来事を取り巻く表現(言葉)にしかならない>認識できない>(例:南京大虐殺は)なかったことに。
恣意的とばかりいえない言説の網目が「歴史」なのか。


歴史の考え方
▼事件史
年表に事件を配置していくもの。事件を追っていくことで歴史を把握する
▼構造史
地政学、気候からはじまって周辺環境から文明の発生・発展を捉える。ブローデル「地中海」に代表される考え方。


人間がとある状況を展開する歴史的なパターンは限られている。
ある人間の治世はおおよそ10-30年であろうし、様々な国が勃興しては消えてゆく流れ。
構造史で見たときの問題は「この見方をしたとき、人間に自由はあるのか?」ブローデルの答えは「2つか3つの選択肢があるくらい」。
生まれた場所、社会状況、社会階層(まさにTRPGの出生表!)の呪縛から逃れられるものではない。
歴史とは…言語化、認識化できる部分は意外に少ない。
歴史とは…前提としてごろんと転がっているもの。
歴史とは…物語だとしてしまうと、別の目的に利用されてしまう危険なもの。たとえば民族高揚のための物語。歯止めが利かない。
古文書館を這いずり回るタイプの学者ロバート・ダントンに「壁の上の最後のダンス」という書籍がある。
1988-1989年のベルリンの壁崩壊までの東側のルポタージュ?(東ベルリン?の人々がハンガリーに行って、東側社会の裕福な象徴であった自動車トラバントをキーをさしたまま乗り捨てて西側に亡命する…といった状況などが描かれているらしい)
その人の発言によれば「事件史を軽蔑しがちだが、面と向かって馬鹿にしていいものではない」とのこと。
たとえばフランス南部の家庭で、テレビで労働組合の委員長かなにか登場したときに騒然となった。
後で聞いた話では、その家の祖父さんというのが抵抗運動家であったのだが、二次大戦終戦時に共産側レジスタンスに射殺されたのだそうだ。
そのときの祖父さんを殺した男が労働組合の委員長として画面に映っていたのだ。
こうした人々に構造史云々だとか歴史は物語だとか語れるものでないのも事実である。
佐藤亜紀さんの実家、新潟県の一部の地域で河井継之助の評判は非常に悪いのだそうだ。
北越戦争?)撤退戦の折にその地方の町人を斬っているがゆえに。そのことを覚えていて恨みに思うがゆえに。
実に100年以上経過しているにも関わらず、河井継之助銅像を建てたときに一晩にして破壊されて誰も犯人を知りつつ口には出さないような状況が現実にある。これもまた歴史、背負った業ではないか。


▼次の問題:表現の有効性
歴史について語ることがその実体の周囲の網目を強化することにしかならないならば、つまり表現が自家撞着を引き起こすようなものでしかないなら、どの程度生産性があるのかという疑問はわいてくる。
既存の文脈で再現しよう、既存の文脈で理解しよう、でもどこかおかしい。そういう感覚。
中身を語るのに言葉がない。どうするのか。どうなるのか。新しい表現はそこから生まれるのか。
一方で既存表現の組み合わせは才能がなくとも可能がゆえに、表現する者の姥捨て山としてはハリウッド脚本術がある(ひでえ。
これを敷衍するなら、当たり前という名のゲームから外れなくては決定的な境地にはたどり着けないということにならないか。*1


美術史においても。
立体感や躍動感がある絵が“いい絵”だとされている場で、ゴヤはそういう絵も描きつつ、あらゆる感情が抜け落ちた平坦な絵「1808年5月3日」を描く。
何かが契機となって時代の規範から外れた表現をとらざるを得ないといったところから、表現が変質していく。これは911以降(というとあまりにわかりやすすぎて嫌だが)の映画も同様。
次回からここらへんを考えつつ、笙野頼子へと展開していく(最後の方はちょっと聞き取れなかった。


●変なRandom Encounter Chart
講義終了後、Twitterを確認したら死せる詩人さんが三省堂まで来ているというので合流することに。
そのまま御徒町の自転車用品を見に行こうとしたら、田中画伯とばっかり邂逅する。どんなRandom Encountだ。
三人で自転車用品の店を渡り歩く。
最初の店でおいらは雨天用のポンチョを購入する。
その店の店員がAnt(アント)に乗っていて、興味深く拝見した。かなり乗り込んで改造もしていらっしゃる様子。死せる詩人さんと改造談義などをしていた。
適当に店を冷やかし、お腹も減ってきたので、炭グリルBAR 裏秋葉原にて会食。
「ケツを鍛えろ」とか「FR Campaignは酷かった」とか「面子が大事」とか、いろいろ話す。
気がつくと23時で目が点になる。
そのまま靖国通りに出て自転車で帰宅の途につく。
九段下の坂でやっぱりへろへろになった挙句、途中から霧雨が降ってきて帽子を目深にかぶっても眼鏡が水滴で濡れてしまう。
すると対向車のライトが目に痛く、難儀する。
途中で輪行するのも面倒臭いほど疲れて、惰性でペダルをこぐ。
早稲田のあたりでロードに乗りながら煙草を吸ってるキチガイがいて腹が立ったり、練馬春日町の近辺では入り組んだ住宅街にブツクサ文句を言ったり、かなり末期症状を呈しつつ、ようやく真夜中に帰り着く。
こんな一日になるとはまったくお釈迦様でも気がつくめえ、といった展開であった。

[追記]
そういや人物月旦してるとき、詩人さんが言及していた切り口が面白かった。
D&D(4e)は理論四割、運用五割、残り一割はダイス運だとか。
詩人さんによればおいらは運用の人らしい。
どちらにせよ理論、運用駄目でもダイス運200点にはかなわないとか。なんじゃそりゃ。

*1:そこにあるのは地獄かもしれず。しんどいことではある。