最強の狙撃手

最強の狙撃手

最強の狙撃手

読了。


事実に基づいたフィクションと一口に言うけれど、これはまた格別の読み応えであった。
ともかくドイツ軍狙撃兵の視点で1943年7月からの東部戦線をずっと追い続けている。ということはすなわち敗走に次ぐ敗走で、極限状況で何が起きたのかが描かれているということになる。
だいたいにおいておいらはスプラッタな残虐な場面だとか苦手なのであるが、もはやそんなことはいってられない読み進めるしかないという憑き物につかれた感覚でページを繰るしかなかった。
それはともかく。
この年になるまで、独ソ戦東部戦線の崩壊近辺についての歴史についは実に無知であった。
枢軸同盟国であったルーマニア軍がソ連へと鞍替えして昨日まで共に戦っていたドイツ軍を窮地に陥れていたなどとはちょっと虚を突かれた事実であった。
シミュレーションゲームでもドイツ軍は装甲師団、山岳または降下猟兵師団、擲弾兵師団、歩兵師団とあり、ソ連軍には歩兵師団に相当する部隊に狙撃兵師団とあるのを不思議に思っていたが、まさに戦術ドクトリンの違いからくるということも分かった。独軍が装甲部隊による電撃戦を発展させているとき、ソ連軍は予算や技術の問題から歩兵周辺を中心に据えざるを得なかった。その名の通り狙撃によって戦場を制御しようという発想で、これは重火器がない場面では非常に効果的であった。独ソ戦初期にあって独軍の戦果に隠れていたが、狙撃兵は攻防ともに歩兵部隊の切り札的な存在であって、手痛い人的損害を与えていたのである。ドイツ軍も敗走するに至って、熟練の狙撃兵によって敵攻勢を挫くことを意識せざるを得なかった。
しかしソ連の厳冬下でドイツの精巧な小銃は金属の膨張収縮で機構が作動しなくなったのに比べ、ソ連の大雑把なつくりの小銃は多少の歪みは遊びがなくなるだけでちゃんと動作したというのは乾いた笑いを浮かべるしかない。
おおまかの話は一人の兵士が戦場の洗礼を受け、生き残りを賭けて狙撃手となり数多の激戦を潜り抜け最後には生家に帰還するまでである。
今まで読んだ戦争モノと違うのは、出会う災禍が皆生々しく、掲載されている死体の写真などが実に即物的な感じを受けるあたりであった。
部隊の若い兵士を射殺してその肉を食らって生き延びたソ連軍兵士だとか、糞尿を始末しようとして塹壕からちょっと体を乗り出したために命を落としたり、そうか思えば「史上最大の作戦」で連合軍降下部隊と独軍部隊が互いに上空を眺めていて至近距離を気づかずにすれ違ったがごとく吹雪の中で独軍ソ連軍隊列が接近遭遇したり、ちゃんと一章を娼婦宿について費やしていたり、なかなかに興味深い。いや娼婦宿を利用した後に膀胱に消毒液(サルファ剤)を注入されるくだりは金玉が縮むさ。
狙撃兵だと敵に知られると虐殺されることが分かっていたため、極力狙撃兵だとは知られないよう用心していたという記述も強烈であった。
あと後半、装備だけは最高に整ったSS部隊と遭遇したときの衝撃なども考えさせられた。20代の酷薄な指揮官に率いられ、促成栽培された10代の兵士で構成された最新装備で固めた部隊ってのがイメージされるのだが、これで現実が何とかなるというのはやっぱなしだと思う。惑星破壊爆弾とか、そういった類のものが必要であるが、それはそもそもが破綻してるってことだ。破綻してるけど破滅するまで留まらないってこともあるのであろう。
途中、休暇で実家に帰省したとき、一次大戦時にアルプス戦線で辛酸を舐めた父親とともに家業の家具の組立工房で無言で働く場面が妙に心休まるのだ。実際に人が人を殺す場面が日常となるのは心底勘弁願いたいと思うが、今日も今日とてその手の話題には事欠かないのであった(脇道。