零戦撃墜王

零戦撃墜王―空戦八年の記録 (光人社NF文庫)

零戦撃墜王―空戦八年の記録 (光人社NF文庫)

読了。

1916/06/14 生まれ
1934 (18): 呉海兵団(四等航空兵) => 霞ヶ浦海軍航空隊(第31期普通科整備術練習生)
1935 (19): 航空母艦龍驤」乗り組み
1936 (20): 霞ヶ浦海軍航空隊(第34期操縦練習生) => 佐伯海軍航空隊
       ※ここから戦闘機パイロット
1937 (21): 大村航空隊
1938 (22): 大陸に進出。初陣(南昌空襲)
1940 (24): 航空母艦龍驤」で艦隊訓練
1941 (25): 航空母艦「瑞鳳」戦闘機隊配属 => 航空母艦「瑞鶴」戦闘機隊配属
真珠湾攻撃時、艦隊の上空直衛
1942 (26): 5/8 珊瑚海海戦
  6/15 アリューシャン攻撃部隊支援
8月 大村空に転属 => 横空転属 => 追浜空転属(教官)
1943 (27): 3月 281空(飛曹長分隊士):アリューシャン方面進出(幌延島)
11月 ラバウル航空隊(201 => 204 => 253空)
1944 (28): 2月 トラック島へ
6月 空輸要員として内地へ
<6/11 米軍サイパン上陸>
<6/19 マリアナ沖海戦>
<7/24 米軍テニアン上陸>
8月 木更津空 => 岩国332空
※この頃、飛行時間8000時間。離着陸数13400回。
<9月 台湾沖航空戦>
       <10/23 レイテ沖海戦
1945 (29): 2月 関東防空戦
沖縄上陸直前の夜間強行偵察
特攻作戦の直掩
4/7 戦艦大和沈没。
坂井三郎と同い年だったか。
ラバウル戦時でも結構無線電話で基地とやりとりしていたり、トラック島の防空戦では電探(レーダー)による出動なども普通にこなしているようだ。
日米の技術の差というより兵站を維持する国力と戦局をリードする指導者層の違いという気もする。読書中、山之口洋「瑠璃の翼」が脳裏に浮かんでいた。