明治大学公開講座(佐藤亜紀 特別招聘教授)2010年度第五回<最終回>

明治大学での講義はこれが最終回、ということらしい。
講義内容はまとめて今年中に書籍として出版されるようなので、購入したい。


初期の講義で古い暴力表現を映像で視聴したが、暴力表現の変遷をおさえる意味合いがあった。
昔の表現は、男性性の誇示としての暴力であり牧歌的で殺気が少ない。
今の表現は、相手の息の根を止めるという殺気に満ち溢れている。
「Bone Identity」のように、より鑑賞者の感覚に「痛み」を訴えかけてくる表現になっている。
殴り合いがボクシングを背景にした暗黙のルール下で行われる、何か男性を強調する意味合いのものであったとして。
歴史的には、ブルース・リーのカンフーという厳しい訓練を下地に技法その型を見せることで、殴り合いの意味合いを変革してしまった。
ここから戦闘美女、すなわち型と技のみで暴力のやりとりが成立する表現に発展していく。
最終的に911以降(この表現もあれから10年経過してどうかという話はあるが)、視聴者がやりとりを追えないほどの画面展開によって突発的な暴力が振るわれているという表現が登場するに至る。
佐藤亜紀さんの指摘では、2000年代に暴力の感じ方・痛みの感覚が新しく更新されたというのだ。
歴史を参照するに、戦争や災害などに遭遇した人々はまさに「語りえぬもの」を語らざるを得ない立場になる。
強烈な事象をいかように咀嚼するか、その瞬間には及ぶべくもないがほとんど強迫観念のように語ることを運命付けられている。
端的に言えば、今は911の衝撃を「言語化」「映像化」しようとした人々の表現の影響に覆われた世界ということになる。
ここから何が言えるのか。
つまり、語ることが出来ない何かを語ろうとするとき、すなわち経験のない何かを誰かに訴えかけたいとき、そのときこそ表現の冒険がはじまるのだ。
旧来の表現では言い表せないとき、新しい表現が必要とされ、それを獲得しなければならない。
※付記
ここらへんの話、おいらは内田樹さんのBlogを思い出していた
http://blog.tatsuru.com/2011/01/20_1253.php
経験のないことに毎度直面している人々が「なんとかする」能力を維持するために己を独特なやり方で律するという話。
総じて己の知性を保つため、「決然として上機嫌」であろうとするあたり、面白い。


笙野頼子さんについて語るのはまだ時期尚早だったかもしれない。
なぜなら、その表現の冒険はいまだ進行中であるから。
作家の作品から表現の理解を引き出す具体例として、ここではナボコフの「ベンドシニスター」を取り上げている。

ベンドシニスター (Lettres)

ベンドシニスター (Lettres)

ナボコフはロシア人。クリミア経由でイギリスに渡って勉強している。語学に秀で、第一次世界大戦から第二次世界大戦下の状況でベルリンに15年滞在している。
1922-37年のベルリンがどういった状態にあるかを考える。
マルクが暴落して外国人は僅かな金で長期滞在が可能になる。ただし、当然ながら似たような外国人*1が集い、治安は絶望的なものがあろう。
ナボコフ自身の言うところでは、この期間「何もなかった」と語っている。明らかに嘘だろう。
大恐慌(1929)からナチスの台頭(1933)まで、いろいろありそうなものではないか。
そこで「ベンドシニスター」を参照してみる。暴力性の噴出が奇妙である。
独裁主義国家で人生を翻弄された作家が息子さえ取り戻せれば国家に協力すると己を曲げるものの、手違いによって息子は収監されている暴力的な人々を慰撫するために供物として捧げられ殺される直前といった映像を見せられて発狂する。スナッフビデオの内容については表記されていないが、ナボコフ自身はそれを描いたものの満足のいく表現とならなかったため、作家は発狂せざるを得なかった。
これはまさに強烈な暴力と不条理による「語るべきこと」があったということだ。
そして、それは表現するにはあまりにグロテスクであったということなのだろう。


他にも質疑応答など活発で、いろいろ考えさせられるものがあった。
メモが上記のあたりで途切れているため、尻切れトンボな感じであるが、ここで止めておく。最終的に講義をまとめた書籍が出たらそちらを参照しよう。
あと忘れちゃいけない、感謝の言葉。
長い間講義をされて色々な表現についての視点を提供していただいた佐藤亜紀さんに感謝を。こうした場を設けていただいた明治大学高遠弘美さんにも感謝を。
先生という呼称は苦手なので申し訳ないがさん付けで。
最後に一緒に講義を受講していた方々も何度か食事を御一緒して楽しめました。ありがとうございました。

*1:共産主義者の巣窟があったのもうなづける。