渋谷 cue702|辻真先・80歳傘寿未満、なお現役。アニメ&特撮人生大回顧#4

<1回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20111212/p2
<2回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120123/p2
<3回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120216/p2
1回目が新宿、2回目が渋谷、3回目が中野。4回目はまた渋谷に戻るの巻。
仕事でいろいろあって15分ほど遅刻。すでにイベントは進行中であった。


▼今月は辻さんのお誕生日ということで、イベント終了後集った皆でケーキを食した*1

80歳の誕生日(まだもうちょっと先らしいが)おめでとうございます。


例によって箇条書き。
●辻さんの初任給(NHK)は9800円。「不思議の少年」をやっていた頃(1961年)には月給20000円であった。
●今回は虫プロ時代の話。虫プロ文芸課は豊田有恒辻真先平見修二(能加平)の三人。あと文芸課長に石津嵐。
虫プロでは呼び名でしか知らない人も大勢いた。平見修二は「ひらさん」であった。なかなか本名を知るのはずっと後になることがしばしばであった。
虫プロ時代では、林重行(りん・たろう)とのおつきあいが真っ先に思い浮かぶ。彼は文芸課(脚本)に対して演出側であった。
●当初「鉄腕アトム」だけであったが、「ジャングル大帝」「W3(ワンダースリー)」「孫悟空」と作品が増えるにつれ人も増え、虫プロ本館のほかに近くにアパートを借りた。
●「ジャングル大帝」では、脚本は辻さん一人に演出六人で忙しかった。
●「リボンの騎士」のときに、富野喜幸(とみやん)も虫プロに参加している。
豊田有恒が「鉄腕アトム」「W3(ワンダースリー)」を担当。新しく来た鈴木良武*2が「孫悟空」を担当。
●脚本の手が足りないというので石郷岡豪(ジャングル大帝のテーマの作詞者となっているが…実際は?)を引っ張ってくる。よく仕事をサボっていた? 石郷岡豪の紹介で、弟子の雪室俊一も参加。
●プロデューサーの山本暎一はデキる人だったため、雪室俊一に嫌われていた。曰く「彼は自分の脚本を添削するから嫌い」。考え抜いて脚本にしているのに安易に手を入れられるのを嫌った。もしそれで面白くなるなら採用するにやぶさかではないが、ここらへんはプロ意識として志高くあったということなんだろう。
●それが原因か知らないが、雪室俊一はモメて虫プロを辞める。
●辻さん曰く虫プロは組織人ではなく個人商店の集合体だった。それゆえ個性豊かで面白い人材が集ったが長居する人はいなかった。
村野守美虫プロにいた。車椅子で仕事をしていた。のちに独立している。
永島慎二、真崎守(もり・まさき)とも親交があった。辻さんも絵がかける演出スタッフとして期待されていたため絵の修業をしていたが、永島慎二と真崎守に挟まれて綺麗さっぱり諦めたとか。
手塚治虫考える虫プロのスタッフ構成は「ドラマ」「絵」「SFマインド(Sense of Wonder)」といったものだったらしい。手塚氏は豊田有恒辻真先だけに「君たちはSFマインドを補ってもらいたい」という意味のことを伝えていたらしい。
虫プロで働いていて後に画家になった人もいる。ごく初期の話。
●辻さんは「キャプテンウルトラ」の脚本も手掛けている。
伊上勝の話。隠密剣士の脚本。それが巨人の星もやっている。
井上ひさしに脚本の発注、快諾をされるも、一年半たっても作品ができなかった。
井上ひさしをカンヅメにしようと旅館をおさえるが、そもそも旅館にやってこない。食事の準備はしてしまったので、辻さんが代わりに食べたことも。代返ならぬ代食だ。
井上ひさしの戯曲「ゲゲゲの鬼太郎」は面白かった。劇がはじまっても舞台には誰も登場せず、劇場の非常口に妖怪が陣取って客を人質にするというシチュエーションからはじまるのだった。
鳥海尽三も松竹?から虫プロに参加。
●参加した面子は皆京都に戻りたい映画の世界に戻りたいという意識がどこかにあった。
ジャングル大帝のときの脚本の体制は、石郷岡のもとに辻、雪室がいただけだった。
手塚治虫の創作を間近にみて、次から次へとアイデアを出すことは重要。山のような没アイデアの上に傑作アイデアが君臨しているのだ。
●現在も「名探偵コナン」の脚本に関わっている辻さん。こういった長期の作品にはストーリーエディターという作品全体を俯瞰する役割の人間がいる。とあるネタがいつ作品になってどのように扱われたかを把握しているので、時間経過して視聴者の世代が入れ替わったから再度使える、直近でこれこれこのように使ったからしばらく使わないなどの判断をする。
●コンバトラーVは辻さんにとっては残念な作品。裏方のゴタゴタ、制作体制がきっちりしていないのはダメ。
杉井ギサブローの話。非常にまじめな人。
虫プロには横山隆一が創設したおとぎプロ、東映動画からの人材が多く参加していた。アニメ制作の過渡期にあって、彼らはできることをなんでもやった。
富野喜幸トミノさん)は他の演出とは違って絵で表現するようなスタイルをとらなかった。ドラマに力を入れる方針を打ち出し、脚本をとことん練ることでそれを実現した。
●「ミクロイドS」は辻さんがほとんど脚本を書いているが、これは手塚治虫の信頼を勝ち得たから。手塚治虫の信頼というのは作品の感覚を共有することで生まれるので、わかっている人間には作品を預けることができるが、わかっていない人間には寸分たりとも作品を預けることができなかった。
●かつて「鉄腕アトム:夢見るロボット」というお題でコンテを描かされたとき、2度も没をくらった。手塚治虫の指示は「夢なのだからもっと奇想天外に」というもの。たまりかねて辻さんは「奇想天外とはいかなるものか」と聞き返したら「ぼくだったらこうするよ」とサラサラとコンテを描き下した。
●そのコンテを見て、辻さんは「アトムが人間になりたいと思っている潜在意識を反映させるべきでは?」と読解してコンテを描き直した。クリエイターとしておつきあいしている矜持というものであったろう。
●コンバトラーV騒動?の話。勇者ライディーンのスタッフ(長浜忠夫)が制作スタッフに予定されていたが、ライディーンをそのままつくり続けるという話がギリギリまであったために、現場は混乱した。東映動画がアニメを制作しメディアミックスしていて東映本体がそうした事業にかめなかった。そこでコンバトラーVで直接アニメ制作するため、東映動画からプロパーの飯島敬を引き抜いたとか。
●辻さん曰く「長浜忠夫はメロ(ドラマ)の人」。辻さんはSFとしてコンVを捉えていたため、長浜演出とは折り合いが悪かった? スタジオぬえが五体合体のメカ描写頑張っていた。
●コンV放映での「ガルーダ様殺さないで事件」により、長浜忠夫は得意のメロドラマ路線に美形敵役を配してスタイルを確立していく。ボルテスV、闘将ダイモスダルタニアスあたりまで辻さんも参加しているが、SF部分が少なくなった点が残念であった。
===========================================休憩
練馬区富士見台にあった虫プロの構造。手塚治虫の自宅の敷地内にあった。T字型の建物というけど話を聞くとL字型のような気がする。
虫プロの資料室で辻さんは結構な時間を過ごされたとか。雑誌の付録まんがなどが完備されていて、これを読み倒したとか。
●中二階に試写室があった。要は屋根裏だったので、ディズニーのテープ(何度も見返してボロボロになっていた)を映写機にかけて鑑賞したりした。天井が低いので立ち上がると頭をぶつけた。
●建物の一方の端が資料室、その手前に撮影室でマルチプレーンカメラがあった。撮影している様子も眺めることができたので勉強になった。建物のもう一方の端は昔編集さんの待機部屋だった。そこをスタジオにした? 螺旋階段があって二階が手塚治虫の仕事部屋だった。
●当時高校生だった里中満智子カッパブックスの物理学入門片手に手塚治虫を訪問しに来たことがある。
ジャングル大帝は誰もアフリカのことを知らないので動物学者の方を監修をつけた。それでもオラウータンが登場するという描写をしてしまう。*3
ジャングル大帝の背景美術のカットが仕事場のあちこちに吊るされたり貼られたりしていたので、舞台の映像を制作スタッフは共有していた。
●グループタックは田代敦巳(あっちゃん)が虫プロから独立して立ち上げた。
ジャングル大帝の音楽を担当した冨田勲とはNHK時代に会っている。サイドカー付きのバイクで登場したらしい。」
冨田勲は凝り性で、楽団演奏中に演奏を止めて作曲の修正をしたことがある。仕切りを任されていた辻さんは気を揉んだ。楽団の拘束時間はあらかじめ決められていたから。
●このエピソードは、飛行機のタラップに片足かけて原稿を執筆していた手塚治虫を連想させる。
●「レオのうた」は歌詞が変わった。歌手の弘田美枝子が漢字が難しいので歌えないと訴えたからだ!
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/si/jungle/reo.html *4
●先の監修となった動物学者に虎はどこまで生息しているかという押し問答の末、インドまでなら何とかという言質を得たため、インドからやってきた姫君のペットとか適当な理由をつけて作品内に登場させるという苦労も。
ジャングル大帝の個別回で、りんたろう氏が「ミュージカルをやろう!」と言い出して、先に音楽を仕上げてそれにあわせて絵、最後に脚本を作成している。こんな作り方をしたのは後にも先にもこの回だけであった。
虫プロマッドハウスサンライズ(1972年)に派生している。
マッドハウス丸山正雄氏(丸さん)の話。荻窪で飯屋を出したりしていた? 今度ノイタミナ枠で「坂道のアポロン」をやる。今敏監督、1949年のアメリカ映画『三人の名付け親』に着想を得た「東京ゴッドファーザーズ」「千年女優」。
●山浦さん(山浦栄二)はガンダムに。※サンライズ創設メンバー
●小説どろろ(原作/手塚治虫、文/辻真先、イラスト/北野英明)の話
●(おいらの記憶あやふやながら)当時の人間でヤクザがらみで業界にいられなくなって音信不通になった方もいた。沖縄でタクシーの運転手している噂もあったとか。
虫プロに集ったのはフリーの人間ばかりで結局は個人営業者であった。組織の人間でないのですぐにやめていったが、個性が強く面白い人間が多かった。最後まで虫プロに残った山本暎一?は、おとぎプロ出身で組織に属していたから最後まで残れたのかもしれない。
●辻さんが最近出会う良い人材はみんな中国や韓国出身の人間ばかり。彼らの向学心は凄い。日本の若者は、川本喜八郎、「老人Z」なども知らない。※なんでこれが同列に取り上げられたかはメモるの忘れた。
月岡貞夫大塚康生Wiki大塚康生月岡貞夫が半年かけて作画した八叉の大蛇と天早駒(アメノハヤコマ)にまたがるスサノオの空中戦は300カット、動画1万枚を超える日本アニメーション史上に残る名場面として、評価が高い」→ハワイ・マレー沖海戦円谷プロ)からの引用。
●皆、凄い車好き。
月岡貞夫の話? 中野ブロードウエイ、当時高級オペラティヴハウスと呼称されたマンションを訪ねたとき、その風体から警備員につかまった。


<質疑応答>
デビルマンについて
最終回は東京と地方とで2パターンある。最終回終わってヤレヤレと思っていたら、地方ではあと1本必要だった?
冨田勲について
夜中に呼び出しを受けていくと、いきなりストラヴィンスキーを弾いて「こんなのがつくりたい」??
●最近の視聴作品
ブラックロックシューター」「ラグランジュ」「ギルティクラウン
夜中に飲みながら視聴している。「偽物語」はその情報量の多さから疲れるので、ながら見には疲れる作品。


書き起こしが遅れた上にメモが結構いい加減で、予備知識の少なさも相まってかなり曖昧な記載ばかりになってしまった。反省。
しかし、なかなかに体系的に理解して記憶しておくのは難しいな。

*1:10人以上で切り分けたので誰かが「試食品のケーキのようだ」と発言していた。確かに(笑。

*2:後に「戦闘メカ・ザブングル」のノベライズを担当された方のはず。あの作品は大好きであった。

*3:オラウータンはボルネオのみ生息。

*4:リンク先は歌詞変更後のものであろうか?