新宿 道楽亭|辻真先・80歳傘寿未満、なお現役。アニメ&特撮人生大回顧#6
<1回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20111212/p2> 新宿
<2回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120123/p2> 渋谷
<3回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120216/p2> 中野
<4回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120313/p2> 渋谷
<5回目:http://d.hatena.ne.jp/karakuriShino/20120424/p2> 新宿
例によって箇条書き。今回は東映動画中心ということでスタート。
●東映動画との最初のおつきあいは、横山光輝原作「グランプリ野郎」というレースものの話が昭和41年か42年に舞い込んだあたりらしい。この企画はポシャった。
●それでは…というので、「魔法使いサリー(白黒)」の脚本を皮切りに、魔女っ子関係の作品には軒並み関わった。
●人気が出なかった「魔法のマコちゃん」「リミットちゃん」、もう魔女っ子ものは受けないよと思いつつ「魔女っ子メグちゃん」は人気が出た。
※「魔女っ子メグちゃん」にはライバルキャラのノンが出ていたため、その魅力もあったのであろうとのこと。
●魔女っ子モノで関わった最後は「魔法少女ララベル」。元ネタが何もないため制作に苦労したが、とくにララベルという名前を決めるまでが苦労であった。
●当時、企業は商標の登録に躍起になっていた。ベルのつく名前はカネボウがすべておさえていたのだ。結局当時のお金で100万?ほど出して使用料を支払い、ララベルという名前を使えるようにしたらしい。
※そもそも名前にあやかる商売としては、ミッチーブームのときにミッチーまんじゅうを売り出して大当たりしたのを嚆矢とするとか。
※ある大企業がある名前でブランド戦略を進めようとしたら同名のラブホテルが建ってしまったとか洒落にならない例もあり、なんでも登録商標にしてしまおうという流れであった。
●苦労して立ち上げた魔法少女ララベルであったが、一向に仕事は来なくて連絡が来たと思ったら打ち上げの連絡であった。
●サイボーグ009の話。TV局の偉い人が放映枠が2クール空いたので「まんがでもやっとけ」ということで決まったとか(ヒドイ時代だ。劇場版やっていて設定も人間関係も出来上がっているサイボーグ009ならやれるということでアニメ制作することになったとか。
●サンコミックの表紙カバーをめくった位置に入るアオリ(コピー文句)はほとんど辻さんが書いていた。
※おいらが所持しているサンコミック版「モジャ公」のは以下。
●当時の朝日ソノラマの建物は、クリエイターの梁山泊的な側面があったとか。よく東映動画の方も出入りしていたとか。
●また、辻さんはソノシートの脚本も書かれていた。4分くらいにお話をまとめるのは、それはそれで職人的な勘所が必要であった。
●実写では「忍者ハットリくん」「悪魔くん」「河童の三平」に関与。
※井上ひさしも脚本に参加している実写版「忍者ハットリくん」
http://www.geocities.jp/kindanhm/hatorikun.html
●「忍者ハットリくん」では、池に実物大の海賊船浮かべてこれを好きに使っていいということで井上ひさし(+山元護久)は相当楽しい脚本を仕上げたとか。
●「一休さん」の将軍さま(キートン山田)を例に引き、作り手が乗って乗せられて(TV, マンガ)作品はよくなるとのこと。
●キートン山田さんがノリノリに将軍さまを演じたため制作サイドは「やりすぎではないか」と心配したものの、結果として受け入れられたためちょうどいい按配に人物が落ち着き、演者・制作者・視聴者にとって幸福な作品となった。
●大人しか分からないことでも楽しんで行うことで、子供は敏感にその楽しみを吸収する。それゆえ楽しく作り手がノリノリで作品をつくることは大切なことだ。
●Fate/ZeroのRiderたる「イスカンダル(大塚明夫)」についても同様で、豪放磊落な人物の時代がかった台詞などを十分に大塚明夫が演者として楽しんでいる様を指摘。
●それはそれとして、TVでは初回放映から5話までにパターン(人間関係の型)を提示できないと制作はつらい。一休さんは制作が意図した部分(話をかき回す役としてやんちゃ姫を配置する)と意図せずにうまくいった部分(将軍さまの人間味)がかみ合って、作品の核となる型ができていたので話をいくらでも広げることができた。
●円谷プロに対抗して東映(渡邊亮徳)がキャプテンフューチャー(エドモンド・ハミルトン)からいろいろもってきて立ち上げた「キャプテンウルトラ」であったが、予算もそれなりにあると思われたが、番組内でレーザーガンを使う場面は(合成で金がかかるから)2回に抑えてくれとの注文を受けた。このときにはさすがに脱力した。
●多額の予算を費やしてつくられた彗星のセット。彗星は太陽に同じ面を晒しているため、灼熱の昼間部分と極寒の夜部分を持っている。しかしセットではそうした環境を再現できず、昼でも夜でもない場として制作せざるを得なかった。
●お偉いさんからは「現代科学にのっとった作品に」と注文がつけられたが全然実現できなかった。宇宙空間で葬送の喇叭を吹き鳴らしたり。東映のスタッフはSF的な緻密さはなく大雑把であった。
●キャプテンハーロックのアルカディア号で海賊旗がはためくのは、東京オリンピックで旗をはためかす工夫と一緒。下から送風している。士気を鼓舞するための演出。なのでオッケー。
●ピンクレディ物語にも携わっている。静岡の母校に取材に行ったりして脚本に活かそうとするものの、面白い路線には振れなかった(プロダクションチェックも入るし。
●ピンクレディはその頃ホテルニュージャパンの貴賓室を住居としていたらしい。辻さんはお茶を御馳走になったとか。
●バイトで公民館などで放映される世界名作系の作品の脚本の仕事もした。
●夏への扉(竹宮恵子)の仕事。マッドハウスができて間もない頃。低予算でもいいものをと頑張った。作画も川尻善昭が参加、演出には真崎守。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)
●30代の女性と男子学生のベッドシーンなどがあるが、美しく描いている。
●辻さんの娘さんが当時高校生?だったため性教育にいいと作品を鑑賞させている。「セックスは綺麗なものだと思ってほしい」という言葉が印象的だった。
●日銀がクライアントとなった子供向け「おかしなおかしな銭の話」といった30-40分のアニメ制作の仕事もした。
●そのため日銀の中に取材に入ったが(映画「黄金の7人 7×7」を連想する)「やなとこですねー」とのこと。暗いし判で押したような人間しかいないし。
●作品自体は好き勝手やったため、この手の作品の中では唯一文部省推薦がつかなかったようだ。
●永井豪の話。辻さんは永井豪ファンクラブに入っている。当時、筒井康隆が会長をつとめていて信用できるので入会したという。
●キューティーハニーは女の子版多羅尾伴内でありましょう。東映のスタッフは実写に強いので、キューティーハニーに多羅尾伴内のノリを色濃く導入したためにうまい具合に仕上がった。(制作側の遊び心が楽しい作品に)
●デビルマンでは「妖獣は血を流さない」との上意下達があったため、「緑色に塗ってしまえ、体液だ体液」という展開に。
●さすがの辻さんもデビルマンに出てきたジンメンは「テレビではできないよ」と永井豪に伝えた。
●飛鳥了については「すぐ消えるんじゃない?」という話であった。それが大きなキャラになってしまった。
●アニメクリエイターとしてはこのへんかなあ(潮時かなあ)と思っていた。なぜなら、アニメの世界は等身大だから。
●ミステリ作家として身をたてていく話。「(ミステリ)作家としてやっていくにはお仲間がいないと」勝手に噛み砕いて解釈。たとえば新本格の方々は京都でお仲間もいて切磋琢磨する環境があった。名古屋大学にはミステリ研がいまだにない?
※確かに島田荘司が先頭になって、綾辻行人とか我孫子武丸や有栖川有栖、法月綸太郎あたりが続いて出てきたあたりのイメージか。ライバルかどうかはともかく同じ程度の濃さの話ができる人間が身近にいるのといないのとでは、その後の作家としての人生は全然違うことになりそうだ。
●サイヤングシリーズから朝日ソノラマ文庫に作品を書いていたものの、自らのミステリーのアイデアを対象読者向けではないと理解されないこともあった。
●実写の話。「生徒諸君!」(1980年)、「5年3組魔法組」(1976年)、「好き! すき!! 魔女先生」(1971年)
●「5年3組魔法組」では平山亨プロデューサーのイメージする狙っている線に基づいて脚本を書くことが求められた。
●魔法はファンタジーで何でもアリではあるが、実写で面白い話にするには工夫が必要。たとえば、田舎で冒険してヘトヘトになった主人公の少年少女がバス亭で「バスよ来い」と魔法をかける。しかしそこに出現するのはバスタブに入った女の子という落ち。これはアニメだと普通のこととして受容されてしまうが、実写であればそのインパクトから強烈な印象を残す。
●同様に、脚本に「車が壊れる」としか書いてないものも、魔法で車の部品が見本市のように整然と配置された状態でバラバラになって、運転手はハンドル握って椅子に座った状態で呆気にとられていれば映像として凄惨にならずコミカルな印象で効果抜群になる。
●主役の少女の1人が自分のことを「ボク」という、いわゆるボクっ娘だったのだが、時代というのは恐ろしいもので女の子なので「ボク」というのを嫌がっていたというのだ。今では女の子も平気で「俺」という一人称を使うのに。
●ドラマ『好き!すき!! 魔女先生』のヒロイン・月ひかる役をやった菊容子は交際していた男性との別れ話のもつれから殺されている(24歳。
●脚本の市川森一もこの前(2011年12月10日)に亡くなっている。
●「魔女先生」は学園/ファンタジー路線であったが、後半変身モノに変わっている。
●小学館の学年誌で編集者に指摘されたこと。小学三年生は夏休みで大きく成長する。扱う題材も一学期と二学期で違うものにしなくてはならない。
●当時(1980年代前半?)どこの出版社でも若手作家を育てていない。辻さんが50歳を過ぎて作家としてやっていくことになったとき、編集者からの注文は「若者向け」というものだった。
●若者(中学生・高校生)向けを書ける作家が不足していたし、そういった作家を育てたりジャンルに精通している編集者もいなかった。
●それゆえ辻さん担当になった編集者は、結局婦人倶楽部出身の女性編集者がつくことになった。しかし作品を一読して「子供にこんな言葉使いをさせてはいけません」と指摘され、そんな理由で書き直す羽目になる。時間もないため、近くの寿司屋の一画を借りて徹夜して対応したとか。
●どこの出版社にも女傑というか名物の女性編集者がいて、たいがいヒドイ注文をしてくるのだった。
●角川(野生時代?)の女性編集で、穴があいたので400枚書いてくれと注文されたが、さすがに断ったとのこと。めったに仕事を断らない辻さんも辟易するほどであったか。
●仕事ができなかった思い出といえば、三波伸介「てんぷく笑劇場」の脚本の仕事中、名古屋で弟さんが脳溢血で亡くなったことがあり、そのときはさすがに書けなかった。
●知り合いが官能小説雑誌を立ち上げるからというので、官能小説も書いている。同じ寄稿者には富島健夫がいた。
●現在携わっている「名探偵コナン」の脚本は第六稿に入ろうとしている。良くなるならいくらでも修正する。昔は第七稿まで行く作品もあったので問題はない。