美は過剰にあり、とブレイクは言った

いや真理省(速水螺旋人さんのサイト)の日記で「類型化されるってことは、元から対象を愛していたものにとっては、痛し痒し」といったあたりの話題を受けて。
まあツンデレと言っておけば了解とりやすいってのは、あるよなー。
とりあえず表向きツンデレと言っておいて、実は俺の中ではちょっと違うんだよ、それは…と滔々と語りだすのが昔風オタクなんじゃなかろうか。
おいらは昔も今も、俺は俺のツンデレを抱えて死ね!とみずからに言い聞かせるタイプ?
抑えきれぬ妄想力が漏れ出でることもありましょうが、まあそれはそれ。いやそれこそが過剰ではあるのかしら。
だいたい「観念」だとか「思想」だとか「原理主義」とか、そういうのは最終的にどーでもいーと思ってしまうからにゃあ。
この手の話を「惑星開発大賞」や「さて次の企画は」のように自由自在に社会との関係で描くというのも面白いが、正直おいらには疲れる部分もある。
どっちかってぇと幼児性バリバリの展開の方がすきなのだ。
たとえば島本和彦炎の転校生」であれば…
伊吹「ゆかりちゃんの“ない”胸がいいのだよ。あの胸が時折膨らんでいることがある。あれは察するに中にパッドを…」
滝沢「!!???(わ、分かる。分かるけど、みなまで言うな!)」
といったあたり。
伊吹の語りは好きなもの(ゆかりちゃん)に対する“間違った”愛情で満ち満ちている。そこが素晴らしい。
Made in Japanを「日本にはメイドがいる!(せめてMaid in Japanなのだが)」と断言するくらい素晴らしい。
まあ、それはそれとして。
間違っているといえば、世界なり社会なりを警戒しているヒロインが自分(主人公)には弱い一面なり甘酸っぱい青春の会話なぞをしてみたりしてくれるというのは、これはもう髑髏マークのボタンがあったら結局押すことになるのと一緒なほど間違っている状況ではあるが、憧れてやまない。そして本当に凄い作品ってのは、間違っているけど必ず心を撃つものだ(貴方の心臓を一撃よ、というくらいに)。
「君はまだ本当の浪漫を知らない」とか「今、ツンデレを越える何かが生まれた」とか、評論や批評に長けた方々がさらなるパッケージ化するに違いないが、それはそれとして自分の心の波風だけはしっかりと把握しておく。それ以外なかろうて。
関係ないが、響子さんをツンデレに括るには無理ありすぎだよな。
めぞん一刻」自体が、響子さんと五代くんの関係の微妙な変化を描き続けるものだから、関係性の類型化を実は受け付けないように見える。
ここらへん広義のツンデレとか、狭義のツンデレとか、あるのだろうか。
個人的には弓月光「エリート狂走曲」の2人(片桐哲矢と美波唯)の関係性とか、面白いと思うのであるが。(やっぱりまとまらず)