栞と紙魚子の怪奇事件簿

なんつー終わり方だ。
石森章太郎は「つまらない作品もおしなべて視聴し、なぜそうなのかを追求することが大切」と息子に教えたというが。
面白くもつまらなくもなく、変な味わいのある作品というのはタチが悪い。
考えるだに馬鹿馬鹿しい細部に見入っている自分の中の馬鹿馬鹿しさに気づくから。
あわせて当該Fieldに踏み込めば確かに楽しめるのだが、その一線を超えてまで楽しむべきかどうかという別の問題も生じるのである。
つまりフタナリやらBoys Loveの明確な境界線を越境しようなどとは思わないというか「だが、断る」というのと一緒だ。
「語り得ぬことには沈黙せねばならない」とヴィトゲンシュタインのおじさんも言っているので、それに従うのが適当であろうか。
しっかしトランクスを履いた年頃の少女のスカートがまくれても、何の感慨もないですな。むしろ怒りがこみ上げてくるのは…なぜ?