そうだ、Arboreaに行こう!

http://critic5.exblog.jp/9764631/
「世に倦む日々」ではついにフランス革命ベルサイユのばら)を引き合いに出し、旧体制の崩壊になぞらえている。
どいつもこいつも影響を受けるのは必至で、中心にいるか辺境にいるかの違いしかないようにも思える。
日本で子供の大学進学資金を運用していたFX投機で主婦が大損するが、その金は欧州に流れ込んでユーロ高を支え、さらにはウクライナの農業投機マネーとなっていたと考えるに、明確な被害者は本当の弱者だけな気がする。
前の回の記事では「私はイラク戦争PTSDになった米帰還兵に同情はしない。」とまで言い切っているし、恩恵をこうむった誰もが罪を背負うべきではなかろうか。
だが現実に罰が下るものも、罪を背負うものも、納得がいく形で目の前に現れるであろうか。
ただ象徴的な犠牲と、取り急ぎ混乱をまとめる政治的な在り様と、それでも変革に伴う混乱が目の前に広がるだけなのではなかろうか。まあ大義名分が立てばここが好機と尽力すべきではある。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3a1d.html
個々人の心の持ちようとしては、竹熊健太郎氏のように心の中にあるものを信じて生きていくという姿勢にならざるを得ない。
心の中、それはいつもArboreaに繋がっている…つまり今こそ三段論法的転送機という名のPlaneshiftが必要なとき、なのかもしれない。たぶん、maybe, perhaps…。