ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 ユナイテッド・シネマ としまえん

よく考え抜かれた劇場版となっている。
冗長な場面や台詞を入れるゆとりはなく、緩急はあるにせよ、多少の齟齬よりも全体としての流れを明確にすべきであるのは明らかだ。
つまりは理詰めとバランスである。*1
TV版と比較するに、人物の関係性はかなり整理され、新しい登場人物「真希波・マリ・イラストリアス」もアスカという人物を再配置する中で投入されているようだ。
顕著なのは登場人物の心情を台詞で語る場面である。
クライマックスで「せめてアヤナミを返せ」と、どうなれば自分が今ギリギリ満足できる状況になるのか確定させるのも台詞で行っている。
また登場人物によって語られる深度とその内容が設定されていて、その枠内で表現が制御されているという意味ではオトナの仕事といった趣である。
たとえばトウジはシンジの友人で妹の怪我があるから複雑な内面があるのだけれども、物語の都合から書き割り以上の場面が与えられていない。妹の回復という幸せが逆に物語から疎外されているかのごとく。その分アスカにしわ寄せがいき、貧乏くじを引いた格好になっている。
もっとも次回予告「Q(Quickening)」*2ではアイパッチ仕様となっていたので、伏線というもあざといが、なんらかの仕掛けはあるのだろう。
初見での感想はそういったところ。
まずもって1995年の静かなる狂奔といった感じだとか先の読めない不安感+期待感だとか思いを回収されない鬱屈する気持ちだとかが全然無いのが、良い悪いというより時間の経過を如実に語っている。
さらに、オトナと子供のすれ違った思いのぶつけ合いだけではなく、それぞれの事情だとか変化を見せている点もまあ視聴者に優しい(というか劇場版で思いを掛け違えたまま進めるのは尺的に自殺行為だが)。ただそうなるとオトナに子供が勝てるわけもなく…というのはあるにせよ。ここまで考えると初っ端でマリのしたたかさ・いい加減さが2009年度作品には必要だと分かる。分かるのだが、やっぱ実時間15年は無理があるよな。
とはいえ宮崎駿天空の城ラピュタ」のように少年が少女(ヒロイン)を助けるために頑張るという過程に収束するのはなんと心安らぐことか。
そういった心の動きを含めて、やはり時間が経過したんだなあと思う次第。


ミサトさんの携帯の着信音:キングギドラのSE*3ウルトラセブンでも似たようなSEあったかもしれんな。
・やたら登場するコスモスポーツ帰ってきたウルトラマン)。
・「帰ってきたウルトラマン」と「謎の円盤UFO」が作品タイトルとしてエンドテロップに登場していた。
・「今日の日はさよなら」と「翼をください」が劇中歌。あと「365歩のマーチ」。
・アスカ登場時の使徒、なんかペルソナに出てきそうな造形だったな。
[追記]
以上を書き付けた後で、「たけくまメモ」(2009/06/28)を読む。
作り手と自分の変化よりも周囲(社会とか世間とか世界とか)の変化ってのが大きい気がした。
作品の評価としては納得できるものの、大傑作になるかどうかは…そこまで(マスとしての)視聴者というものを信じてないなあ、おいらは。

*1:作業としては、Five Star Storiesのように先に年表ありきの中でドラマを構成するのに似ているのかもしれない。

*2:結局「序・破・急」ではなく「序・破・Q」となっている。

*3:Sound Effect