メモ

http://d.hatena.ne.jp/nacky7/20100327
また難しい話を(笑。
おいらはハロルド・シェイ的な意味でアンチ・ヒロイック大好きな人間なので*1、いろいろとアレだが、ちょっと考えてみる。


本来ルールは指示であるべきだと思うのです。意味は参加する人間が作っていくというのが前提であるわけで、世界の在り方はさらにまた別の話だと思うのです。
読み物として楽しい、限定的な状況を再現するだけの詳細なルールは、全体のバランス重視で洗練されていたエポックのシミュレーションゲームと対比されるツクダのデータと理論重視のゲームデザイン(偏見)を彷彿させます。


あと2点だけ。
1) 昔AD&D2ndでWishを入手したとあるPCが「世界が少しだけ幸せになりますように」という願いに使って受理されてました。Wishなんてこの程度のものでしょという言い方も出来るかもしれません。(本当に欲しいものは呪文なんかじゃ手に入らないんですよ。手に入れてはイカンでしょう。そこが分からんと話にならんのだが。)
2) 神々が簡単に殺せてしまうのは、恣意的にゲームのルールで判断するからでしょう。世界の律で判断するなら、おのずと違った判断になろうかと。


うーむ、ざっとこれくらいか。
で、それはそれとして、ゲームの方向性とは別に自分のゲーマーとしての基本スタンスこそが実は“意味”の大きな部分を占めているというのはあるよな。
(なんて歯切れの悪い)

*1:ヒロイックな作品を考えもみよ。力あるものは力あるゆえの呪いを受け、神々が厳然として背後にあるというのが定番ではないか。こんなんで愉快とは言わないまでも痛快な冒険譚やってけるかいな。