本日の戦果


 ◆山田風太郎傑作大全 (20) 八犬傳 上 廣済堂文庫
 ◆山田風太郎傑作大全 (21) 八犬傳 下 廣済堂文庫
 ◆Essential Histories The Thirty Year's War 1618-1648 Richard Bonney, Osprey Publishing
 ■雑誌「アワーズ」06月号
惑星のさみだれ」実に少年少女の物語として正しく、ちょっと感動した。
久しく少年の位置づけをうやむやにしてきたやつばらに、「たった一人の女の子のために全力を尽くすデタラメな物語」というあたりを是非見てほしい。
ただ“一人の女の子のために”ということを体現するためには、本当に全力を尽くさねばならないということが如実に物語られている。
一緒に未来を切り開くのは単なる仲間でしかなく、そこで彼女のために振り返って戻ってきて対峙するがゆえに、少年は少女のヒーロー足りえるのだ。その浮き彫りにされた孤独に少年が振り返った瞬間の少女の「かなわないな…」という思いが、読者にもこうした心の動きにもっていかれる作品に対して「かなわんな」と照れ隠しにつぶやいてしまう対比の構造になっている。まあ、ありていにいって批評や分析はどうでもいい(よくないけど、いいのだ。
なんという途方もない、だが正しく素晴らしい在り方なのか。
惑星のさみだれ 1 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 1 (ヤングキングコミックス)

とはいえ、こうした小悟*1において瑣末なことなどどうでもよくなってしまうのが、おいらの欠点ではあるのだろうが。
[追記]
内田樹氏のBlogで折りしも「男性中心主義の終焉」と題された一文が掲載される。
ハリウッド発映画作品から意図的に男性がオミットされて、女性寄りの文化によって現状、あまりにも多くの破壊をもたらした文化の是正をしていくであろうといった内容。
もともとが女性嫌悪であったものを男性嫌悪によって修正する、これを男性が受け入れて動き出した…という分析に、氏の文章は「アメリカの文化は“女性的なもの”へと補正されなければならないという見通しに私は深く同意する」と持って回った発言。これをはさんで最後には「アメリカ男性よる伝統的なアメリカ的男性中心主義文化の否定。あいかわらずアメリカ人のやることは過激である。」と結ぶ慎重さ。なかなかに隙のない巧者といった印象である。
いや、それはそれとして、こうした大きな流れとコミック作品が無関係でないとするなら、優秀な作り手ほどいまどき少年を描くこと自体がどういうことなのかを意識せざるを得ないはずだ。
ではそれは今回とくに感銘を受けた「惑星のさみだれ」にどのような影響をもたらすのか。結局のところ、少年と少女は物語の軸線上でようやく同じ土俵に上がったに過ぎない。同じ土俵にあるということ自体が幻想なのだから、これはそういった意味でもファンタジーなのだろう。ただそれを描かずに何を描くのかという思いもある。
また描かれ方としては、今まで見えなかった少女側の少年に対する見方がにじみ出て言葉にはされていない点、注目である。回想でモノローグで、ということは死にフラグでもある。
つまるところ今後の展開がどうなるにせよ、やはりこの回に過剰反応した自分の主観こそすべて。まさしく小人の小悟のなせる見解であろうが、間尺にあわない言葉で大悟を語るわけにはいかないのも確かなのだ。

*1:禅宗のやつ。